Fastcut Records Interview #1 - Paul Dackombe from Explained Emma

当レーベルからリリースされた『When My Heart Rings EP』も好調なセールスを記録、『Unnecessary Strain』の限定復刻7インチ・リリースも間近になっているネオアコ〜フェイク・ジャズ・グループ、Explained Emma。2008年2月のロンドン買い付けの際に、オリジナル・メンバーであるPaul Dackombe氏と会うことができました。これはメールでの往復書簡やロンドンで話してくれたことを元にインタビュー形式でまとめたものです。彼等のNew Wave+Post Punk+Jazzなサウンドや結成のエピソードなど、これまで謎に包まれていたExplained Emmaについて知りうる貴重なエピソードを色々と語って頂きました。

Q1. 80年代にどのようにして、Explained Emmaのメンバーは集まり、楽曲制作やライブを行うようになりましたか?
Peter Higginsが中心となってWarringtonでバンドを結成しました。Peterと仲が良かった私とベーシストが参加したのがはじまりです。

Q2. 貴方たちは現在ロンドン在住とのことですが、どのような職業に就かれているのですか?
Peterは"Wire Design"というグラフィック・デザインの会社を設立し運営しています。私はMerrill Lynch & Co., Inc.で働いています。

Q3. 貴方達の故郷、Warringtonはどんな街でしたか?

イギリス北西部、リバプールとマンチェスターのちょうど真ん中くらいにある街です。元々は工場がたくさんあって労働者階級の街だったのだけど、他の大き
なイギリスの街と同じように20年で様変わりしてしまったね。

Q4. 作曲はどのように行っていますか?
Peterがメインのコードやメロディーを作って、僕と一緒にブラスやストリングスのフレーズや歌詞、アレンジを考えます。デモが仕上がったら、スタジオへ入ってドラムやギター、キーボードなどを録音していきます。それから歌やコーラスを入れる前にブラスやストリングスなどを加えていくんだ。

Q5. Explained Emmaという名前の由来を教えてください
Peterが考えた名前です。彼はJane Austinの『Emma』という本からインスピレーションを受け、名前を付けたのだと思います。彼が他に考えたバンド名の候補には"The Vinyl Covered Chairs"というのもありました。だけど、Explained Emmaという名前も特に意味があるような固定的な名前では無かった。

Q6. Explained Emmaはどのような事を歌っていますか?

曲ごとにいろんなことについて書いているよ。だけど、人為的(固定的)なものでなく、面白いものを書こうとしています。次のリリースでは歌詞もちゃんと載せるので、聴き手それぞれに解釈してもらえたら嬉しいな。

Q7. どのような音楽がExplained Emmaに影響を与えましたか?
Small Faces、The Kinks、The Who、Amen Cornerなどの60's RockやSoul、そして一方でPunkとNew Waveのムーヴメントに影響を受けました。The Clash、The Sex Pistols、Elvis Costello、The Buzzcocks、The Teardrop Explodes、Echo and The Bunnymenなど。PunkやNew Waveのムーヴメントで変化していく当時のイギリスの音楽シーンは本当にエキサイティングで、若かった僕達にはとても刺激的でした。80's- 90'sのお気に入りのグループはThe Smiths、The Water Boys、The The、Joe Jackson、The Cars、Supergrassなどです。『Unnecessary Strain』や『When My Heart
Rings』は80年代中頃に録音された楽曲で、それまでとは違った音楽的影響を受けて作ったんだ。僕らはその頃、40'sや50'sのBeBop JazzやSwingに夢中になっていて、そのフィーリングをバンド・サウンドに取り込もうとしていた。Charlie ParkerやDizzy Gillespie、Thelonious Monkなんかをよく聴いていました。

Q8. HaciendaやGallery Clubといった場所で、あなた達が共演(対バン)したグループで印象に残っているバンドを教えてください。
Haciendaで共演したグループについてはあまり思い出せません。Tony Wilson(※注1)がThe
Smithsをオーディションした時、僕らはちょうどその場に居合わせたんだ。有名な話なんだけど、Tony WilsonはThe Smithsのデモ聴いて、それをカス扱いして契約しなかったんだよ。Tonyがイギリスのインディペンデント・ミュージックやNew Waveへ与えた貢献は大きすぎるものだったので、彼が昨年亡くなったことはイギリス音楽にとって本当に大きなロスで、悲しい事件でした。

Q9. Haciendaでのレイヴ・カルチャーについてはどう感じていましたか?Happy MondaysやThe Farmなどが有名ですが。
90年代のマッドチェスターの頃には既にロンドンへ引っ越していたんだ。だけど彼等は60's音楽にインスパイアされたものが多くて好きなバンドが多かったよ。同世代で80年代からプレイしていたThe Farmが「Groovy Train」のヒットで成功したのは嬉しかったな。

Q10. あなたたちの音楽にはPost PunkやNew Waveだけでなく、Jazzのエッセンスが感じられます。あなた方は幼い頃からJazzに親しんでいたのですか?
New Waveムーヴメントが予測できるようになり、メインストリーム音楽が再建しめた80年代の中頃くらいからJazzを取入れ出しました。当時のSaxプ レイヤーがCharlie Parkerにどっぷりハマっていて、僕達も彼から影響を受けた。僕らはCharlie Parkerの『Relaxing At Camarillo』という曲も当時カヴァーしていました。

Q11. 『Unnecessary Strain』や『When My Heart Rings』のジャケットのイラストはデザイナーであるPeter Higginsによるものですか?
Peterの兄弟のTimによるものです。僕らが有名になろうと音楽活動していた頃、Timはペインティング・アーティストとして活動していました。『When My Heart Rings EP』のジャケットもTimのペインティングによるもので、リリース予定のCDアルバムのジャケットも彼が原画を作ってくれる予定だよ。

Q12. Firestation Recordsのコンピレーション『The Sound Of Leamington Spa Vol.4』に収録されることになった経緯を教えてください。
Uwe(Firestation Recordsオーナー)は、どこからか突然Peterに連絡を取ってきたんだ。不思議なことに僕らは未だに彼がどうしてPeterの連絡先を知っていたのか知らないんだよ。彼に会った時には、それを聞こうと思っているんだ 笑。

Q13. Explained Emmaがロンドンへ移住し、『Unnecessary Strain』をリリースしたのが'83年。あなた方はいつ頃までプレイし、いつ音楽活動を止めたのですか?
90年頃まではUnivercity Circuitをツアーしたり曲を書いたりしていた。その間に何度かメンバー・チェンジがあった。Paul Wellerが僕らのベーシストを引き抜いたり、Saxプレイヤーがロンドンを去った。僕らはメンバーを探しライブをすることが困難になってきたので、 ギグで演奏することを止めて、作曲に専念することに決めたんだ。以来、僕らは一緒に曲を作り続けていたのだけど、僕が'95年にUSに何年か引っ越すこ とになってしまったため、作曲活動も一旦ストップせざるを得なかった。'98年に僕がイギリスに帰国した頃には、60曲くらいの様々なスタイルの楽曲をストックしていました。また、僕らは80年代にアルバム2枚分くらいの 楽曲を書いていたので、そこから厳選してリリースできたらと思っています。僕らはTVのテーマ曲や挿入音楽なども手掛けました。だけど2年くらいやってるとうんざりしてきて、自分達の曲を作りたくなったんだ。僕やPeterは仕事が忙しくなってしまったけど、音楽活動を現在までストップしたことは無い。最近、オリジナル・メンバーのベーシストもまたバンドに戻ってきたし、ライブもできるよ!

Q14. 日本では若いDJが、Jack Penateなどの最近のUKのバンドの曲と繋いで、Explained Emmaをプレイしたり、聴いたりしています。あなた方はそれをどのように感じますか?
勿論、若い日本のリスナーが私達の曲をプレイするなんて光栄だよ。長い年月を越えて、今でも聴いてもらえることができるなんてファンタスティックだよ。

Q15. 現在、貴方達はex. MagazineのDave Formula氏(※注2)を向かえレコーディングを行っているとのことですが、Dave Formulaとはどうやって、いつ知り合ったのですか?
Daveは僕達のマネージャー、Nigel Proktorの友人だった。80年代にDaveがStrongroom Studioというスタジオをロンドンに作っていた頃に紹介してもらい知り合ったんだ。彼にナイジェルが僕らの音源を渡してくれて、Daveが気に入ってくれたので、キーボードやプロデュースを引き受けてくれたんだ。彼はすごいプレイヤーだし、人柄も良くって、録音に参加してくれる事はすごい嬉しいんだ!

Q16. 日本のファンやリスナーに何かメッセージをお願いします。
80年代にメジャー音楽会社に無視されていたけど、良い音楽を作っていた僕達の音源を楽しんでもらえてありがとう(笑)。僕らは今後、次のリリースも計画しているし、日本へライブに行く計画も立てています。僕達のシングルを買ってくれた日本のリスナーに会えることを楽しみにしています。

(※注1) Tony Wilson - Factory Recordsのオーナーにして、マンチェスター・ムーヴメントの立役者。'07年心臓発作のため死去。映画『24 HOUR PARTY PEOPLE』で、彼やHacienda、Factory Recodsの軌跡を辿ることができる。

(※注2)Dave Formula - マンチェスター出身のキーボーディスト、映画音楽コンポーザー。Post Punk全盛期にMagazineのキーボーディストとして活躍、ニューロマの頃にはVisageのメンバーとしても活躍した。