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“― Sunny Gets Blueの曲は、あの時だから作れた音であって、僕らにとってのリアルがそこには刻まれています。サニーゲッツの曲を聴くと、いろんなことが思い出されます。楽しかった思い出も、ほろ苦い記憶も。まさに青春の光と影が凝縮されているといった感じです。(安部)”
Interview by Naoki Morikawa (fastcut records)
front photo by Megumi Yabusaki
– 今回、Sunny Gets Blueの音源の復刻に携わることができ本当に嬉しく思っています。当時東京を中心に活動していたとのことで、当時は関西圏に情報があまり入ってこなかったので、今回貴重なテープ音源なども音源をリマスターさせて頂きはじめて聴く楽曲もあり、感銘を受けています。
当時のSunny Gets Blueの活動について、いくつかご質問させて頂きたいです。結成して最初の頃のエピソードを聞かせて頂ければと思います。バンドはどのようにスタートしましたか?安部さん (vocal/guitar) を中心に大学内のサークルなどで結成されたのでしょうか?
安部:頑張って思い出してみました(笑)。せっかくなので、せきららに語ってみようと思います。
バンドのスタートは、Sunny Gets Blueの母体となるバンドを大学1年の終わりか2年の初め頃に学内の友だちと始めました。ベースの外川とは予備校で知り合い、学科は違いますが同じ大学に進学しました。ドラムの宮内は僕と同じ学科で他にもう一人ギターがいました。外川と僕はバンド経験がある(高校時代)ものの、以前はふたりともドラムだったので、実質、初めてそれぞれのパートの楽器を持ったといった感じです。
最初はパンク〜ポジパン(ニューウェーブ)あたりのコピーをしていました。例えば、初期のThe ClashとかBAUHAUS、Siouxsie And The Banshees、MAGAZINEなど。
そのあと、バンド熱が盛り上がるとともにギターが抜け、その後にサニーゲッツ初期のギターである高橋が加入しました。
これによりSunny Gets Blueの初期メンバーが揃います。
ボーカル&ギター 安部亮太郎
ギター 高橋孝司
ベース 外川隆志
ドラム 宮内映志
この頃は、The Byrds(Primal Screamのファーストアルバム「Sonic Flower Groove」の影響)とかJesus & Mary ChainとかRIDE、初期のMy Bloody Valentine、Velvet Undergroundなんかのコピーをしていました。まだわりとダークよりな感じですね。
初ライブを大学2年時の学園祭(11月)のステージと定めて準備してたのですが、ヘタ過ぎてテープ審査の選考に落とされました(笑)。そこで急遽自分たちで即席の同好会を立ち上げ、学園祭でクラブを企画しました。バンドメンバーだけだと手が足りないので、クラブ運営のためのスタッフ募集のビラを大学中に勝手に貼って呼び出しを食らったり。おかげで音楽趣味が合い、その後もずっと行動を共にする仲のいい友達、宇野くんと巡り合いました。
クラブというとまだ世間では飲み屋のイメージでしたから、「学祭でクラブをやるから来てね」と友達を誘っても、みんな?な顔してましたね(笑)。
その学祭のクラブではDJなんかも入れて、教室を暗幕で囲い、ブラックライトとミラーボールも設置して、爆音で音楽を流したり、自分たちの他にも友だちのバンドも呼んだりして演奏しました。まだバンド名はなく、オリジナルの曲もなく、初めて人前で演奏したのがこの時です。学外の友人もけっこう遊びに来てくれたし、学内でも感度の高い人たちがけっこう遊びに来てくれたので、最後は満員の大盛況でした。一気に友達も増え、「何か面白いことをする奴ら」みたいに見られたようで、翌日からは構内を歩いていると知らない人から声をかけられたりしましたね(笑)。
― 当時の東京のインディー・シーン、その後のギター・ポップやパワーポップ、ネオモッズ・バンドやレーベルに多大な影響を与えた、アンダーフラワー・レーベルの初期のコンピレーションや、系列のpushbikeレーベルでのSunnycharとのスプリットepなどに参加していました。レーベルオーナーの田中さんとはどのようにして出会ったのでしょう?リリースの経緯を少し教えてください。
大学2年時の学祭以降、バンドをもっとちゃんとやっていこうということになり、オリジナルも作り始めました。クラブに遊びに行った時に、高校時代の親友(後に雑誌『GROOVE』の編集長となる石脇くん)からライブイベントを企画している人を紹介してもらい、デモテープを渡したところ、後日「一度出てみる?」と言われて出演が決定。そのイベントは広間さんという女性が企画していた「Pop Hounds」というギターバンド系のイベントで、場所は仙川のゴスペルという小さくてマイナーなライブハウスでした。
バンド名は当初Rollercoastersだったのですが、ライブ直前で「Sunny Gets Blue」に変更しました。この時がSunny Gets Blueの誕生です。ちなみに、Sunny Gets Blueというバンド名は、JAZZの名曲のタイトルからではなく、The Pooh Sticksの『The Great White Wonder』というアルバムに収録されている「When Sunny Gets Blue」からヒントを得ています。
これがサニーゲッツとしてライブハウスでの初ライブでした。この時のPop HoundsでSunshowerと対バンし、打ち上げで仲良くなりました。ちなみに、ゴスペルのスタッフにはSunnycharの桃ちゃん(よしのももこさん)もいましたね。Sunny Gets Blueのサウンドも初期はサイケだったりノイジーだったりしたのが、少しずつネオアコやギターポップ寄りに変わっていきました。時代的にはマンチェスタームーブメントの頃ですね。
Pop Houndsにはトータルで3回ほど出演させてもらいました。2回目の出演のときは池袋のAdmというライブハウスで、My Bloody Valentineの「I don’t need you」をカバーしました。この時はサニーデイ・サービスも出演していましたね。他にもTip Top PlanetsやSteaming Toy Train、Teennage Sonic Holocaustが出演していました。
Steaming Toy TrainはPastelsみたいなアノラックバンドで、川野くんがボーカル、後のSunnycharとなる桃ちゃんがコーラスで槌屋くんがドラムでした。Teennage Sonic Holocaustのギターは後のCalm氏だったり。打ち上げでみんなと仲良くなって、Tip Topのベースでリーダーの大野くんにアンダーフラワーの社長である田中さんを紹介してもらうことになりました。
ここからサニーゲッツの活動は大きく広がることになります。
Tip Topがアンダーフラワー企画のライブに出演するので見に行き、そこで社長の田中さんを紹介してもらいデモテープを渡しました。後日、コンピに参加しないかと連絡を受けました。これがpushbikeのファーストコンピ『See See You Tommorrow』です。このコンピには後にBEAT CRUSADERSでブレイクする日高くんのバンド、PESELA-QUESELA-INも参加しています。
当然僕らはこのコンピ参加が初めてのレコーディングで、さっぱり分からないまま田中さんに紹介された当時アンダーフラワー御用達のプライベートスタジオBea pot(半谷さん)で初レコーディング。「Marinegirl」と「I go down to the sea」の2曲を録音しました。
大学3年時の学園祭でもクラブを企画しました。その時はSteaming Toy Trainも出演してくれました。そして、後期サニーゲッツのギターとなる福田徹との出会いもこのときでした。宮内&外川のバイト先に青山学院大学に通う岡部くんという人がいて、彼とは音楽趣味が合ったので時々一緒に遊んでいました。岡部くんは青学のベターデイズ(サザンオールスターズやピチカート・ファイヴなどを排出したサークル)という音楽サークルに入っていたので、学園祭のクラブ企画の際にベターデイズの機材を借してもらうことになりました。
その流れでベターデイズのUKインディー好きでバンドをやってる人たちも僕らの学園祭に出演してもらうことになりました。その時に福田(実は双子)も来たのです。福田とは音楽以外にもバイクやファッションなどの趣味も合い一気に仲良くなりました。とは言え、福田はこの後、自分のリーダーバンドであるNature Thingというバンドをベターデイズのメンバーと結成(アンダーフラワーのコンピに収録)します。
その後、pushbikeの2枚目のコンピの参加も決まったのですが、レコーディング直前でギターの高橋が脱退。というか、レコーディングに来なかったので、急遽想定外の3人でのレコーディングとなり、町田のどこかのスタジオ(忘れた)で、雰囲気の悪いまま、「in my heaven」という曲を録りました。この日のバッドな雰囲気がばっちり音に出てます(笑)。ここからしばらく3人体制のサニーゲッツ(中期)となります。
― アンダーフラワーやpushbikeのバンドで交流があったバンドはありますか?サニーデイ・サービス、N.G. Three、Sunnychar、Jenka、Nona Reeves、Sunshower、Shortcut Miffy!、Love Love Straw、Tip Top Planetsなど、沢山のアーティストが作品をリリースしていました。
アンダーフラワーのコンピの参加をきっかけに、アンダーフラワーナイトにも出演するようになりました。アンダーフラワーナイトは、当初、恵比寿のギルティというライブハウスで定期的に開催されていて、そこで多くのアンダーフラワーのコンピに入っているバンドと対バンしました。後にアンダーフラワーナイトはギルティから下北沢のSLITSという小さなクラブでやるようになりました。なのでSLITSでのライブはそうとうやった記憶があります。
サニーデイはあまりアンダーフラワーの頃はライブをやっていなくて、わりと早くにMIDIと契約したので、ライブハウスで曽我部くんたちとは顔を合わすものの、そんなに対バンはしていないですね。
一緒にやる機会が多かったのは、Tip Top PlanetsとSunshower、Sunnychar、CORDY、American Girlかな。N.G.Three(Ron Ron Clouも)やミッフィーとも何度か対バンしました。あとはZeppet Store(ボーカルの木村くんのソロであるHurdy Gurdyも)やBubble Bus(今は無頼庵名義で活躍の堀内くんのバンド)、freebo、Heaven’s Beach(Sunnycharのベース、Mica Flakesの黒米くんのバンド)、Biscuit Fan、Baked Beans、PETE、Sugar Plant、Luminous Orangeとか。他にもたくさん一緒にやったと思うけど、すぐには思い出せないや。
Nona ReevesやLove Love Straw、ASIAN KUNG-FU GENERATIONは僕らよりちょっとだけ後の世代なので、対バンしたことはありません。
N.G.Threeの新井くんとは、よく下北沢のライブハウスで出会いました。というか、彼は本当に熱心に多くのライブハウスに足を運んでいて、ライブのはしごとかもよくしていましたね。Shortcut Miffy!の沼倉くんは、打ち上げによく参加してくれて朝まで一緒に飲んでました。JENKAこと石黒さんともとても仲良かったです。もともとSunshowerのコーラスで、その後フルーツバスケット、そしてJENKAとなったんですけど、フルーツバスケットがリリースしたカセットには僕も1曲一緒に歌わせてもらってます。録音はSunshowerのギターの川瀬くんで、彼の部屋でしたね。
あとTip Top Planetsのメンバーの船越さん、井坂くん、大野くんともとても仲良かったです。Steaming Toy Trainのベースの田村さん(後にThe Gardenというというソロユニットをやる。pushbikeコンピに収録)、Sunnycharのドラムの槌屋くん(Chocoballaholicという超アノラックバンドをやってた)、アンダーフラワー関連じゃないけど、Flight Channelのメンバーの安藤くん(後述、元THE MAYBELSのメンバー)、ウメさん、小池くんたちとも仲良くて、彼らともよく一緒に遊んだし、飲んだし、多摩川でバーベキューしたりもしました。特に田村さんにはいつもサニーゲッツの写真を撮ってもらっていました(彼女はアンダーフラワー関連バンドの写真をかなり撮ってます)。
– コンピレーションCDで挿入されている効果音やアーティスト写真でもベスパが印象的です。当時は東京のモッズカルチャーに影響を受けたり、モッズメーデーなどに参加したりしていたのでしょうか?「Boy Should GO!」のような少しモッズ?マージービートな曲も演奏されていました。
当時モッズ御用達のライブハウスというと新宿JAMでした。ナンバースのベスパとか停まってたりして、クールなイメージのライブハウスです。僕らはモッズではないけれど、ベスパに乗ったりしてたのもあって、老舗のJAMはちょっとした憧れがありました。Tip Topの企画で初めて新宿のJAMに出ましたが、ずっとJAMでライブをしたかったので、あの時は嬉しかったな。
そのあともJAMではけっこうライブやりましたね。THE MAYBELSのドラマーだった安藤くんが結成したEveready Playthingsとも対バンしてメンバーと仲良くなったり、モッドな人たちとの交流もいくらかできました。サニーゲッツ解散後も含め、おそらく個人的にはいちばん出演回数が多いライブハウスがJAMですね。
モッズメーデーは当時クラブチッタ川崎でやっていたと思います。友だちが行ったのを写真で見せてもらったりはしましたが、僕らは参加していません。サニーゲッツはモッズバンドじゃないので。THE JAMの曲のカバーとかはたまにやっていたし、ポール・ウェラーやBlurとかも好きでしたが、モッズメーデーに参加するような人たちはもっと本格的なモッズというか、ベスパも旧車だし音楽も60年代のR&Bとかを聴いてるようなマニアックな人たちですからね。僕らはもう少し今っぽいというか、わりとマイブームなうちわノリで、後ろに彼女乗せたりしてのんびりベスパ(福田はラビット!)でツーリングしたり、釣りしたり、BBQしたりしてました(笑)。
「Boy Should GO!」はモッズというよりアノラック好きな人にわりとウケてましたね。僕自身はサニーゲッツをアノラックバンドとは捉えていなかったのですが、Sunnycharとの対バンやスプリットのリリース、周りにアノラック好きな友人も多かったのもあって、演奏が下手でちょっとジャングリーな曲もあった初期サニーゲッツは、アノラック寄りのバンドと思われていたかもしれません(笑)。
– Sunny Gets Blueは当時、精力的にライブ活動を行っていましたか?
いちばんライブをやっていたのは、福田が加入してからの後期です。初期にいた高橋の突然の脱退後、3人のみでやっていく考えはなかったのでライブ活動ができなくなり、中期はわりとレコーディング中心でした。
3人時代に録音したのが、pushbikeのコンピ『Happy day,Happy Time』収録の「in my heaven」、chocolat artのコンピ『the cacaos go like hot cakes』収録の「Boy Should Go!」「Our Red Wagon」、同じくchocolat artからリリースの6曲入りカセット『Dacks And Drakes』です。pushbikeのコンピ以外はMTRでの自宅録音です。
でも、VINYL JAPANがChesterfieldsとTV Personalitiesを呼んだ時に対バンで声をかけてくれ、その出演を断りたくなかったので、それをきっかけに福田にギターでの助っ人を頼みました。福田に断られたら、American Girlの岸岡くんにお願いしようと思っていました(笑)。
当初は福田自身のリーダーバンドでもあるNature Thingがあったし、そのライブのみのヘルプということだったのですが、一緒にスタジオに入ってみるとお互いとてもフィーリングが合い、一気に意気投合して、福田自身が自分のバンドを脱退してサニーゲッツに加入するという、当初は予定していなかった形になりました。Nature Thingのメンバーにはちょっと悪かったなと思っています。
そこで再び4人体制となり、後期サニーゲッツとなるのですが、この辺りからライブの本数がかなり増えてきました。ちなみに、サニーゲッツはライブハウスのブッキングライブは一度もしたことがなく、全てイベントライブのみです。いつも多くの人たちが声をかけてくれて、それに参加させてもらいました。とても恵まれている状況でした。
サニーゲッツを始めた頃はみんな大学生でしたが、後期の頃は卒業時期も近づき、今までのようにバンドだけをやっていればいいかというと難しい時期に差し掛かります。そんなバンドメンバー内の不安に反し、バンド自体は盛り上がりを見せていきます。アンダーフラワーがサニーゲッツを大きくバックアップしてくれだして、矢嶋さんというマネージャーも付き、ライブもメジャーアーティストとの対バン、イベント会社やレコード会社の関係者も常にライブに来たりして、メジャーへの動きみたいなものが起こりはじめます。ラジオやテレビなどでの露出も増え、嬉しい反面、戸惑いもあり、覚悟の定まらないメンバー間で目に見えないひずみのようなものが生じ始めます。
そんな状態がしばらく続き、大学を卒業して1年半くらい経った頃、飽和に達したかのようにバンドは突然解散しました。それにより多くの人に迷惑をかけました。当時の僕らは考えが甘く未熟だったので、プロを目指して音楽をやることが上手くイメージできていませんでした。バンドとしての共通の方向性を失った。これが解散の主な原因だと思います。
今とは時代も随分違います。今なら仕事もやりつつ音楽も続けるといった選択肢もあるでしょうが、その当時はなかなか難しい時代でした。前身バンドも含めたSunny Gets Blueとしての、およそ4年間の活動が終了しました。
― 今回の復刻にあたり、フォトグラファーの薮崎めぐみさんがフィルムで撮りおろした写真が使われています。
薮崎さんが、昨年の冬にfastcutが企画したブルックリンのバンド、Ice Choirのライブを観に来ていたというのも驚きでした。薮崎さんの透明感のある写真はSunny Gets Blueの音楽を象徴しているように思えます。薮崎さんとは、バンド活動期から仲が良かったのでしょうか?
薮崎さんは僕の大学の後輩の友達で、サニーゲッツ解散後に僕と外川がやっていたバンドのライブに遊びに来てくれたのをきっかけに知り合いました。当時から彼女は写真を撮っていて、あるとき彼女の個展で作品を見せてもらったところ、とても作品が素晴らしく、そしてネオアコ的だったので(彼女自身ネオアコ好き!)、いつかジャケットでお願いできたらなとずっと思っていました。
でもなかなかそんな機会が訪れることもなく、年月ばかりが過ぎて行ったのですが、この度fastcutさんからの再発の話がCANDY EYESの小笠原さんを通じて福田の方にあり、これはチャンス!と思って20年近くぶりに連絡しました(笑)。
薮崎さんは立派なプロカメラマンに成長されており、それでいて相変わらずのネオアコ好きで、快く写真の利用を承諾してくれました。個人的なことですが、ずっと思い描いていたことが実現できてとても嬉しいです。
僕はレコードジャケットが良いものをインテリアの一部として部屋に飾ったりするのが好きなので、この7インチを手にした人も部屋に飾ってもらえると嬉しいですね。
― バンドの活動やイベントで、一番記憶の残っている出来事や一日はありますか?思い出せる限りで教えてください。
安部:あれから20年以上が経ちましたが、わりと最近のことのようにも感じます。初めてライブハウスで演奏した時、自分のバンドがCDに収録された時は、やっぱり嬉しかったです。
当時はインターネットがないどころか携帯電話さえまだ普及しておらず、気軽にパソコンでチラシを作ることもままならない時代でしたから、チラシもプリントごっこを使って手刷り、DMを郵送してなんて感じで、毎回ライブ前はけっこう大変でした。でも女子高生のスタッフ(ちひろ)もいたし、友達も手伝ってくれたり、いろいろと助かりました。
そうそう、タワレコかHMVかでサニーゲッツの広告か何かを見かけて気に入ったという女子高生二人組がいて、彼女たちがサニーゲッツのファンジンを作ってくれました。さらにON AIR EASTでライブしたときには差し入れまで持ってきてくれて。あれは嬉しかったですね。Beadyというインディーズバンドのファンジン作っていた坂本さんも、サニーゲッツのことを取り上げてくれたり、他にも写真を撮ってる子がうちらを被写体に撮らせてほしいと言ってくれたり。そういうのは楽しかったし、とても嬉しかったです。
本当に不思議なものですが、波に乗っている時って自分たちの実力以上に周りが勝手に動いてくれるものなんです。そうじゃなければ僕らがクラブチッタ川崎や渋谷クラブクアトロ、ON AIR EASTなどの大きな箱でライブなんてできなかったでしょう。運も実力のうちなんて言うけれど、そういう経験ができたのはとても良かったです。ずっと続けばもっと良かったけど(笑)。
福田:メンバーとスクーターで相模湖までツーリングした事。一度きりだったけれど、良い思い出です。当時、ちょうど修理していたラビット90が仕上がって、3人のベスパについて行った事を覚えてます。
― 初期の音源に関しては、ロリッポップソニックのようなアノラック・サウンドが印象的です。国内外問わず、当時影響を受けていたアーティストをいくつか教えてください。
安部:当時影響を受けたアーティストを思いつく限りざっとあげてみます。
Aztec Camera、Pale Fountains、Prefab Sprout、Trash Can Sinatras、Gangway、Sundays、Ben Watt、Orange Juice、Go-Betweens、Everything But The Girlなどのネオアコ系、クリエイション系のバンド(FELT、THE LOFT、The Weather Prophets、Biff Bang Pow!など)や、elレーベル(Momus、King of Luxembourg、Monochrome Setなど)、sarah recordsのアーティスト。BlurやStone Roses、My Bloody Valentine、RIDE、Primal Scream、The Jesus and Mary Chain、Echo And The Bunnymen、Saint Etienne、DUFFY、The La’s、The Housemartins、Pooh Sticks、The Vaselines、Nick Heyward、Matthew Sweet、Velvet Crush、Choo Choo Train、The Hit Parade、would-be-goods、Eggstone。Roger Nichols & The Small Circle of FriendsやThe Millenniumなどのソフトロック、Beatles、Beach Boys、David Bowie、Velvet Underground、Television、THE JAM、Style Council、Paul Weller。あと映画のサントラも。もちろん、フリッパーズも大好きでした。
他にも色々あったように思うけれど、すぐには思い出せないなぁ。
初期の頃は技術的にもあまり高度な音楽とか演奏できなくて、必然的にシンプルな曲やクリエイションやサラみたいなUKインディーズっぽい音になってたけれど、僕的にはトラキャンとか、アズテック、ペイルファウンテンズ、ギャングウェイ、プリファブスプラウトなんかに憧れてました。
サニーゲッツが活動していた頃、ライブをするたびに友達が増え、またクリエイティブな人たちが集まってくるのでとても刺激的な日々でした。バンド関係だけじゃなく、写真を撮っている人、雑誌を作っている人、モデル、演劇やってる人、映画を撮っている人、イラストレーター、デザイナーなど。
僕は音楽以外にも映画や小説、アートやファッション、その他のカルチャーなどから多くの影響を受け、それらが音楽作りの糧となっていたので、そういう意味では様々なクリエイターたちと接するのはとても良い刺激でした。そしていつかどこかで彼らとコラボできれば楽しいだろうなと思っていました。
福田:好きなギタリストは、Johnny Marr(The Smiths)と言いたいのですが、一番影響を受けたのは、Maurice Deebank(FELT)やStaring Morrison(Velvet Underground)あたりだと思います。
その他は、ギタリストというよりは、Edwin CollinsやBernard Sumner(New Order)、Gary Newby(Railway Children)等、リードを弾くギターヴォーカルのプレイが好きでした。
― 「at the brilliant corners」のギターは当時初めて聴いた時は、 the smithsを聴いたばかりの自分は既にこんな繊細なネオアコを演奏するバンドが日本にいたのかと、衝撃を受けました。安部さんの蒼いヴォーカルと福田さんの紡ぐギターがもたらすエバーグリーンなサウンドは率直に日本のネオアコ史上、屈指の名曲だと思います。「at the brilliant corners」はどのように作られたのでしょう?バンド後期に加入した福田さんのギターはSunny Gets Blueの後期の楽曲でとても重要な役割を果たしたのではと勝手に推測しています(笑)。
「at the brilliant corners」の原曲はドラムの宮内が持ってきました。アコギと仮メロが入ったデモで。それをバンドでアレンジしていきました。
福田はクリアトーンでのカッティングやアルペジオが得意で、シングルコイルのギターにアンプはジャズコーラスという組み合わせで音を作っていたように思います。福田のギターのおかげで、歯切れの良いリズミカルなカッティングサウンドが強調され、切れの良いネオアコサウンドが増しました。またディレイによる空間系サウンドに拍車がかかり、トラキャンのような音に近づきましたね。
ちなみに楽器について言うと、僕は主にエピフォンのカジノとタカミネのPT-406を、福田はフェンダーのストラトやビザールギターのBurns、VOXのファントム、オベーション、リッケンバッカーなど。外川はフェンダーのジャズベやミュージックマスター、ヘフナーのバイオリンベース、宮内はグレッチのスネアを愛用していました。ついでに言うと、初期メンバーの高橋はリッケンバッカーの320とグレッチのランチャーを使っていました。
ライブはギター、ベース、ドラムのみで演奏されますが、録音はオルガンやピアノ、ストリングスなんかも入れています。僕は子供の頃にピアノを習っていたので、これらの鍵盤系は僕が弾きました。
― 最近はどのような音楽を聴いていますか?メンバーとは今でも良い関係ですか?
安部:基本的には昔も今もメロディアスなものが好きです。なのでリズム主体でメロのないダンスビートやラップ系とかはあまり聴きません。
サウンド的にはアコースティックなものやアコースティックと融合したエレクトロニカが好きです。他にジャズやクラシックも聴きますね。ガットギターの音色が好きなのでボサノバも好きです。もともと小さいころピアノを弾いていて、最近また弾きたくなったのもあってピアノの独奏曲なんかも聴きます。あまりうるさい音楽は聴きません(笑)。
昔のネオアコ系は今でもわりと聴きますね。トラキャンやベン・ワット、ネオアコじゃないけどTRAVISやRon Sexsmithの新譜が出るとチェックしたり。わりと最近の人だとPassengerやNorah Jonesなんかも聴いています。
ベースの外川とは近所なのでよく会って話をします。また音楽やろうという話も出ますけど、なかなか実現できない(笑)。宮内と福田にはしばらく会ってませんね。年賀状のやり取りくらいでしょうか。というか、僕はほとんど出かけないので、昔の友人たちにはしばらく誰にも会ってないんだけれど(笑)。
でも、バンドメンバーのことは今でも大好きだし、とても大切な友だちです。いつか機会があれば、また一緒に音楽をやるのもいいなと思います。でも、音楽って近くにいないとできないんですよね。今はお互い離れて住んでいるので、そういう意味では難しいのかな。
宮内は吉祥寺で「MIYAUCHI」という居酒屋をやっています。お酒も料理もとても美味しいので、ぜひ足を運んでみてください。
これが再発されたあかつきには、久しぶりにみんなで会うのもいいかなと思っています。みんなもうお父さんなんですよね(笑)。時の流れはホントに早いですね。
福田:あまり新しいのは、聴いていません。復活したRIDEとか、今でも現役でがんばっているPrimal Screamなどをたまに聴いています。最近は、子供のサッカーの審判をしているので、車の中でNew Orderの”World in Motion”を聞きながら、ピッチに向かうのが週末の日課です。
メンバーとは、年賀状を交換するレベル。今回のリリースを機会に久しぶりに再会するかもしれません。
― ありがとうございました!最後にこれからSunny Gets Blueをはじめて聴く、リスナーの方にメッセージを頂けるでしょうか?
安部:Sunny Gets Blueの曲は、あの時だから作れた音であって、僕らにとってのリアルがそこには刻まれています。サニーゲッツの曲を聴くと、いろんなことが思い出されます。楽しかった思い出も、ほろ苦い記憶も。まさに青春の光と影が凝縮されているといった感じです。
音はあまりよくありませんし、演奏も拙い部分がありますが、曲は今でも聴けるんじゃないかなと思います。でも、僕の中ではこれが完成形ではなくて、もっと理想に近いサウンドと演奏力で録れたらよかったなと思っています。なので、その辺をイメージして2割増しで聴いてもらえると、若いリスナーが聴いても何か感じるものがあるかな?なんて。もちろん気に入ってもらえたら嬉しいです。
埋もれていた音源を引っ張り出して、再び世に出る機会を与えてくれたFastcutの森川さんには大変感謝しております。Sunny Gets Blueの音を聴きたいと時々言われることもあったので、とても良い機会となりました。どうもありがとうございます。
福田:当時、隠れた名曲を探して渋谷、新宿のレコード屋で7インチを一生懸命買って、当たりの1枚を見つけた時は、何度も聴いたり、コピーしたりしていました。このレコードを手に取る人もそんな方達だと思います。この7インチが、初めて聴いてくれる人の当たりの1枚になってくれると嬉しいです。
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